毒親解毒日記

毒親の呪いが解けない餅Kが解毒を目指す過程を赤裸々に綴ります。

毒親の洗脳が抜けていなかった逃亡時代

私は過去に2回、毒親から逃亡をはかって失敗しています。

1度目はすぐに善意の第三者によって通報され戻されてしまいましたが、2回目は自滅して体を壊し戻りました。

今回は2回目の逃亡時の話です。

 

1回目の時のことがあったから、2回目は親が迎えにこれないように飛行機の距離に逃げました。

父は自分の足で遠くまで動く事が絶対にない人だし、物理的に距離があったほうが私の心のためだろうと思って。

でも、違ったんですね。

 

体は離れても、心が離れていなかった。

 

それに気付けていなかった。

 

逃亡してすぐ、最初はシェアハウスに身を置き自活を始めたのですが、まぁ何も出来ない。

家事初心者だから、とかいうレベルの話じゃなくて、今までやってきた父の機嫌が悪くならない範囲でしか動けなかったのです。

普通なら「なんで?お父さんはもういないよ」と思うところだし、私自身そう思って過ごしていました。

洗脳の賜物というやつでしょうか。

父は働け稼げとはいうものの、本当に私が稼げるほど働いたらストレスになってしまう人。

昼のうちに家に帰れなければいけないし、何日も家にいないのも嫌。なにより「女の仕事なんか遊び」とか言っちゃう人だから、週2、3日午前中が限度でした。

遊びやこの社会で生きるために必要な用事についても同じです。

 

仕事を数日やって、あとは部屋にこもっている生活が一番安泰という家。

 

当然ながらそんな生活で自活して生きていくのは無理です。

私も最初は普通の人と同じように働き始めました。派遣だったけど、良い会社の事務につけてもらって嬉しかった。

でも、続きませんでした。

実家じゃないのに今住んでいる家にほとんど居ることが出来ない事が不安になってきて、休みがちになり、数ヶ月と持たずに辞めてしまいました。

そして次こそは!と思ってまた働き始めても同じことになる。

そんな事を繰り返し繰り返し、最後にはうつ状態に。そしていつの間にかPTSDにもなっていて日常生活を送ることが困難になり、実家へ…と続きます。

 

「なぜ出来ないんだろう?みんなやってることなのに。私はだめな人間なんだ」

 

つい最近まで本当にこう思っていました。

心理学の本を読んでメンタル強化したり体力を作るべく筋トレしたりと色々やりましたが、全部だめ。

なんで?って、ずっと思っていました。

 

そして最近毒親から逃げたいとセルフカウンセリングを始めて、実家から逃げて、市の相談員さんに話を聞いてもらって。

やっと、気付きました。洗脳だったんだって。

 

洗脳されている状態にあることには気付いていたのに、おかしいですよね。

きっと洗脳された状態が普通になりすぎてておかしい事に気付けなかったんです。

毒親基準の価値観が無意識に私の価値観になっていたんです。

探してみたら他にも気付かない毒親基準で私が苦しむ価値観が出てくるはず。

 

またひとつ見つけました。見つけた!

とはいえどれが正しいことなのか本当は分かっていないし、どうすれば取り除く事が出来るのか、どれが取り除けた状態になるのかは分かっていませんけどね。

でも敵は見つけたという事になるので、頑張って戦っていきたいと思います。

過干渉な毒親の家で育ったインドアぼっち

居候先の友人がアウトドアに私を連れて行くと言います。

私は反射的に思いました。「え、嫌だな」と。

私はインドアだし、人と交流するのも苦手だし。

 

でも、思ったんです。

 

本当にそう?

 

 

過干渉な毒親の家では、基本的に必要以上に外に出ることは許されません。

仕事だって、私の親はたくさん働きに出ろと言いながらも短時間のアルバイトが限界。友達と遊びに行くのも不機嫌になってしまいには大爆発するし、病院にはもちろん行くとその日の家の中は地獄になります。

仕事だけさっさと行って短時間で終わらせて、寄り道せずにさっさと帰るのが最善。もちろん父の機嫌でそれも変わるし、結局辞めてしまった仕事も数多くあります。

だから全て隠れてやるしかなかったけど、仕事も午前には終わらせて帰ってくる父は一月のうち7割家にいるからもう何も出来ないも同然でした。

 

よく考えたら幼児期には男勝りで友達も多く外で遊んだ記憶が多かったですし。

小学生からはクラス総シカトにあっていたから休み時間に外に出るなんて事しなくなったんですが。

でもそんな生活を受け入れて生まれてから何十年も続けていれば、そらインドアがぼっちが当たり前になるよね、と。

もちろん元からインドアな人もいるだろうけど、こんな環境で育ったんだし本当にインドアなの?と思ってしまったのです。

 

結果的にはインドアに落ち着くのかもしれませんが、せっかくの友人のお誘いです。

いやいや壁を作りながら行くんじゃなくて、受け入れるつもりで前向きについて行ってはどうかな、と自分に行ってみました。

もちろん不安はあります。そんな事やった事ないし。そもそも対人スキルないし。

それでもこれから自分を開いていくきっかけになるんじゃないかと思って頑張ってみようかな。

まずは受け入れる姿勢を意識してみようと思います。

セルフカウセリング8日目

前向きになるって難しいですね。

今日はうちがいかに閉鎖された環境だったか実感した日でした。

なんだかんだ言ってもずっと閉じこもってる事が推奨される環境だったから仕方ないなと思いつつ、それが前回の逃亡時に気付けず病んでしまった事が悔やまれます。

 

 

セルフカウセリングを初めて一週間過ぎましたね。

順調に進んでるのかなと思う一方、気付いたり飛び出したりが出来たんだから前進してるんだと信じたい。

 

さて、昨日はぐちゃぐちゃになって終わってしまったセルフカウセリングですが、今日は落ち着いてできました!

私の一番古い記憶、母が父に暴力を振るわれている記憶が主に思い出されたのですが、今思い出してもきついですね。

最初は私が直接されたことじゃないからな、私はその時寝ていたことになっているからなと思ったけど、海外では子供にそういう光景を見せることだけでも虐待になるんだよなと思い直しました。

よく海外のリアクターが日本のアニメを見ている時、子供の目の前で喧嘩する大人たちのシーンで「え、子供が見ているけど?」と驚く反応をしたりするんですよね。それと同じで。

なにより、私がショックだった記憶だしね。

 

そして、そうされた母が私を置いて実家に帰ってしまった。

当時私はまだ2歳とかだったんですけど、その事について父が私に「母さんはお前を置いて勝手に出ていった」と話す光景を今でもよく覚えています。

母が実家に帰っていたことはぶっちゃけ記憶にないんですけど、父のその言葉だけははっきり覚えています。

ショックだったということはないと思うのですが、そこを覚えてるって事は結構ショックだったのかなと。

暴力の光景に比べたら全然ショッキングじゃないからぼんやりしているのかも?

とにかく、きちんと思い出して文章にして、当時の自分の共感して。

 

その「当時の自分に共感」の部分で、今日は大成功だったと思います。

今日はそばにクッションがあったのでそれを使ったのですが、それが良かったみたいで。

セルフカウンセリングを説明しているサイトなどを見ても最初のうちは人形などを使うと書いてあるのに、大丈夫と思ってやってなかった…やれば良かったのに、何故かできなかったんです。

うーん、きっとプライドが高いせい?自分ではプライドが高いという自覚はまだないんですけどね。

 

とにかく、明日からもこのクッションを拝借してやってみます。

はやく解毒できますように。

 

 

セルフカウンセリング7日目

心療内科に連絡したら初診の予約は年内は無理、とのことでした。

うーん厳しい。そうだよね、年末だもんね。

わかってるけど、早く診てもらいたい…。

 

 

さて!今日のセルフカウンセリングですが、あまり上手くいかなかったかも…という話になります。

何を書こうか、とノートに向かってみて書き始めたことが、多分私が一番苦しいと思ってる部分だったんですね。

 

父は私の発言を一切許さない人でした。

なにか発言をしようものなら即座に否定される。父の意見と同じ意見を言っても私が言った瞬間間違っている事になる。

ひどくなってくると、私の言葉に被せるように大声を張り上げる。まるで上からバンバン叩きつけてくるみたいなイメージ。

父は体力も声量も普通の人よりありますから、私が必死に叫んで喚いても父の大声にかき消されて終わってしまう。

それがもの凄く苦しくて、悪夢として何度も見るほど嫌な記憶でした。

なので私は基本的に男性の声をはじめ、大きな音が大の苦手です。

少しでも聞こえたら身の危険を感じるレベルでびっくりするし、続けば頭がぐちゃぐちゃになってしまいます。

聴覚過敏なんだと思って対処しようと思った事もありましたが、どうしようもなく…今思えば正しい対処のしかたじゃなかったからなのかもしれませんが。原因は父なわけだし。

 

とまぁこんな事が日常でしたから、あの時こうだったああだった、みたいな具体的なものがないんですよね。

今回書き出してみましたが、今までで一番ノートがぐちゃぐちゃになってしまいましたし、感情が全く落ち着かないまま時が経っていくばかりでした。

これは長期戦になりそう。

ひょっとしたら来年心療内科にお世話になるときに決戦になるのかも?

 

ああだめだ、今日は頭がまとまりません。

疲れちゃった…。

毒親に育てられた打たれ弱い人

ちょっと気付いてしまいました。

 

毒親を持つ人って、会社で先輩や上司にほんの少し怒られただけで大ダメージを負いますよね。

 

それって、家ではそれが命取りに繋がる事だからなんですね!

 

今始めて大発見!みたいに書いていますけど、随分前から知ってました。

自分の両親が毒親だと気付いてから色々調べていたので。

でもやっと今、腑に落ちました。

 

というのも今、身を寄せている友人宅で少しずつ家事を拝借してやらせてもらってるところなんですね。

洗濯とか、人によってはこだわりのある人がいるでしょう。

友人は特にないそうなんですけど、それでも私が色々よく分からない理由をつけて「違ってたらどうしよう?やって欲しくないから居られて困るに変わったらおしまいだ…」とか考えてしまいます。

他にも、今は少しだけやっている状況なので、全部やってくれるわけじゃないんだと思われないかとか。

なんでこんな事思うのかって実家がそうだったからです。

実家ではそうやって永遠に怒られて、最後には「出ていけ!その辺でのたれじね!」と毎回言われて実際に一晩〜数ヶ月外で就寝したりしてたんですよ。

 

そんな事は非常識だし、絶対に起こらない!というのは普通なのでしょう。

でも、毒親と暮らしたほとんどの人がそれが普通で、絶対に起こってしまう事なんです。

 

それが普通でない人にとっては「考えすぎ。気にしすぎ」な内容なんだろうと思います。

私も心の上澄み部分ではそう思ってしまうところがありますから。

でもそういう育ち方をしているから考えすぎちゃうし、気にしすぎるのが普通なんです。

だから友人が「せっかくやってもらって悪いけど〜」とか言い出したらどうしよう、ってビクビク。

幸い今の所そんな事はないのですが、何もなかったらなかったで私の方から伺いにいってしまう始末です。

 

やっと腑に落ちました(笑)

なれるにはもっと時間がかかりそうです。

だって私にとってはまだまだ最先端の新常識のようですから。

世界はとても優しいという事

毒親からの逃亡3回目。

 

今回の逃亡は前回までと違って、理解のある友人がそばにいてくれます。

 

そこで気付いた事がひとつ。

 

世界はとても優しいという事。

 

早速タイトル回収です。

どういう事かっていうと、友人の「普通」が私のものとは全く異なるんですね。

 

だって、実家にいた時はこうですよ。

  • 入浴するのも父の気分次第
  • トイレに行くにも父の気分次第
  • 起床、就寝時刻も制限付き
  • 冷暖房は父の気分次第で禁止
  • 食事も父の食費が最優先で余った費用から(父は基本食費入れない)
  • 出かけるのも父の管理内で
  • 病院は禁止(俺だって病気なのになんでお前らみたいに楽をしてるやつが!)

これが、私の普通だったんです。

私は持病もあるし病院は必須だから、隙を見てこっそり行くしかなかったんです。

 

でも友人は違うんですね。友人という間柄を取り除いてもです。当たり前だけど。

普段の日常生活だって、なんの制限もないんです。

むしろ今までのくせで我慢した生活をすると、逆に怒られてしまうくらい。

 

我慢するな、寒いでしょう。我慢するな、遊びたいでしょう。

トイレ行きたいでしょう、お風呂入りたいでしょう、お腹すいたでしょう。

 

うん、そうだよ。そうなんだけど。

今まではすべて父の気分次第だったから、様子を見て大丈夫そうな時にこっそりやるしかなかったんだよ。

 

でも、それって、へんだよね?

 

おかしいと分かりながらもそうしないと家で平穏に生きていけない(そうしてもやっぱり父の気分次第なんですけど)から、そうするしかなかった。

それがくせになって抜けません。

 

今日だって、家にいると電気代使うから外に出ようか?でもどこに?これ使ってていいのかな…?そんな風に思いながら過ごしています。

これを打っている今も別室にひとりにさせてもらってやっているのですが、こんな事してていいのかな?とか思ってモヤモヤ。

友人に話したら絶対いいに決まってるって言ってくれるんでしょうけど。

父も割といいよと言いながら後から「甘い顔したら本当にやりやがって!」とか言って爆発する人でしたし、いまいちピンとこない。

 

それに、市の相談員さんも慣れているからなんでしょうけど、本当に親身に話を聞いてくれました。

今まではこんな事、誰にも言えないと思っていたんですよ。

何も分からない子供で毒親なんて言葉も存在しないような時代の頃から、なんとなく恥ずかしくて惨めで、誰にも言えなかったんですよ。

言ったって引かれるだろうし、嫌がられるだろうからって。

でも、ちゃんと聞いてくれました。

それが仕事だろうと思われるかもしれませんが、私は嬉しかったです。

(今までだったら「この人も仕事だからね」と真っ先に思って壁を作っていたと思うんですが、それは友人とセルフカウンセリングのおかげかもしれません)

 

素直に受け入れて良いんだ。

そう思いたいです。

自信はない、でもきっとそれが普通なんでしょう。

壁を作らず、少しずつ、自分を開いていきたいです。

きっとそれが自信につながるだろうし、ちゃんと自分になれる事になると思います。

 

がんばろう。

セルフカウンセリング6日目

昨日の話で市の相談員さんからの提案を実行すべく、さっそく心療内科に連絡…と思ったのですが、この辺の病院はほぼすべて木曜日おやすみでした。

つ、ついてない…思えばいつもどこか病院に行きたいと思った時おやすみの日だったりします。たいていは諦めていたんだけど、ここまできたんだ。負けるか。(本音はちょっと負けそう。くじけそう)

 

昨日のお話↓↓

dokmotik357.hatenablog.com

 

今日のセルフカウンセリング、また初日みたいにノートを開いたけど何を書いたら良いかわからない!状態に陥りました。

すべての記憶がぼんやりしていて、もやもや苦しい圧迫感の中に漂っているような感じがするんですよね…困ったものだ。

初めてすぐ何ページも書けちゃう人もいるのに。こうやって比べて自分はだめだーとか、本当は思っちゃいけないんですよね。

いやいや、そうじゃない。思わなくていい、んですよね。

 

うーん、むずかしいな。

 

なので、昨日相談員さんと話した時に思い出しで吐き出した事をもう一度書き出してみました。

書きながら思い出してみます。当時の事、そしてこの話を聞いた相談員さんと友人の表情。

あのね、本当に嫌だった記憶なんですけど。でも、なんとなく「嫌な事」だと思う自分の方が嫌で、だめだと思ってたんですよ。

話して気付いたんです。話を聞いてくれた二人が、すっごい辛そうな顔をしたんです。

 

ああ、やっぱり。

そうだよね?いやだよね?こんなん無理に決まってるよね?

涙が出ました。

今もこの文章を打ちながら改めて再確認して涙が出てきてます。

なんで、嫌だと思うことが嫌だったんだろう。

自分の親だからなのかな。そうしつけられて育ったからかな。

私の家庭環境では、父が法律で。絶対でした。父が自分でそう言ってたし。

心の底ではちゃんと「そんなばかな!ありえない!」とちゃんと思ってたのに、思ってたはずなのに、素直に従ってました。

「うちはよそとは違うから」とか言いながら。

 

多分、これからも何かを思い出して書く度に同じことを再確認していくのでしょう。

何度も、何度も。

 

そうして少しずつ、今まで普通だったことを塗り替えていけたらいいなぁ。