毒親解毒日記

毒親の呪いが解けない餅Kが解毒を目指す過程を赤裸々に綴ります。

世界はとても優しいという事

毒親からの逃亡3回目。

 

今回の逃亡は前回までと違って、理解のある友人がそばにいてくれます。

 

そこで気付いた事がひとつ。

 

世界はとても優しいという事。

 

早速タイトル回収です。

どういう事かっていうと、友人の「普通」が私のものとは全く異なるんですね。

 

だって、実家にいた時はこうですよ。

  • 入浴するのも父の気分次第
  • トイレに行くにも父の気分次第
  • 起床、就寝時刻も制限付き
  • 冷暖房は父の気分次第で禁止
  • 食事も父の食費が最優先で余った費用から(父は基本食費入れない)
  • 出かけるのも父の管理内で
  • 病院は禁止(俺だって病気なのになんでお前らみたいに楽をしてるやつが!)

これが、私の普通だったんです。

私は持病もあるし病院は必須だから、隙を見てこっそり行くしかなかったんです。

 

でも友人は違うんですね。友人という間柄を取り除いてもです。当たり前だけど。

普段の日常生活だって、なんの制限もないんです。

むしろ今までのくせで我慢した生活をすると、逆に怒られてしまうくらい。

 

我慢するな、寒いでしょう。我慢するな、遊びたいでしょう。

トイレ行きたいでしょう、お風呂入りたいでしょう、お腹すいたでしょう。

 

うん、そうだよ。そうなんだけど。

今まではすべて父の気分次第だったから、様子を見て大丈夫そうな時にこっそりやるしかなかったんだよ。

 

でも、それって、へんだよね?

 

おかしいと分かりながらもそうしないと家で平穏に生きていけない(そうしてもやっぱり父の気分次第なんですけど)から、そうするしかなかった。

それがくせになって抜けません。

 

今日だって、家にいると電気代使うから外に出ようか?でもどこに?これ使ってていいのかな…?そんな風に思いながら過ごしています。

これを打っている今も別室にひとりにさせてもらってやっているのですが、こんな事してていいのかな?とか思ってモヤモヤ。

友人に話したら絶対いいに決まってるって言ってくれるんでしょうけど。

父も割といいよと言いながら後から「甘い顔したら本当にやりやがって!」とか言って爆発する人でしたし、いまいちピンとこない。

 

それに、市の相談員さんも慣れているからなんでしょうけど、本当に親身に話を聞いてくれました。

今まではこんな事、誰にも言えないと思っていたんですよ。

何も分からない子供で毒親なんて言葉も存在しないような時代の頃から、なんとなく恥ずかしくて惨めで、誰にも言えなかったんですよ。

言ったって引かれるだろうし、嫌がられるだろうからって。

でも、ちゃんと聞いてくれました。

それが仕事だろうと思われるかもしれませんが、私は嬉しかったです。

(今までだったら「この人も仕事だからね」と真っ先に思って壁を作っていたと思うんですが、それは友人とセルフカウンセリングのおかげかもしれません)

 

素直に受け入れて良いんだ。

そう思いたいです。

自信はない、でもきっとそれが普通なんでしょう。

壁を作らず、少しずつ、自分を開いていきたいです。

きっとそれが自信につながるだろうし、ちゃんと自分になれる事になると思います。

 

がんばろう。