毒親解毒日記

毒親の呪いが解けない餅Kが解毒を目指す過程を赤裸々に綴ります。

2023年の目標!

2023年の目標はやっぱり「解毒・自立」!

本当は昨年12月になった時に色々目標は立てていたのですがね、それは実家から逃亡する前で、まさかその半月後には逃亡しているとは思っても見なかったのでもう意味がありません。

なので、新年を迎えた今、改めて今年の目標を立ててみたいと思います。

 

解毒・自立のためのステップ

ブログ・セルフカウンセリング習慣を取り戻す

昨年11月に始めたセルフカウンセリング、12月に始めたブログ。

解毒を目指して始めた2つですが、年末に友人の家に避難した関係で年始は友人がずっと傍におり、セルフカウンセリングをしたりブログを書く時間が全く取れませんでした。

最初はやらなかった事に対してそわそわしていたのですが、だんだん気にならなくなってきていたので、まずはその感覚を取り戻すところから始めたいと思います。

あとこのブログ、文体が統一されていないのでそれが出来たらなぁ。

 

心療内科に通う

年末に市役所にDV相談に行った際に進められた心療内科への通院。

今までは「通院してどうするの?」「何を話すの?」と思って選択肢になかったのですが、行ってみたいと思います。

セルフカウンセリングをしてみて思ったのですが、思ったより溜まった毒が染み付きまくっているみたいで。

優しい言葉や励ましなど、他の人が心動かされるような文章を信じたいけどどうしても疑ってしまう、自分じゃあどうしようもないところにいるような気がしているのです。

だから、専門家に直接聞いてみようかな、と。

ぶっちゃけ怖いですし、半信半疑でしかないのです。でも、もう逃亡失敗、解毒失敗なんて終わり方はしたくない。

とりあえずは来週に来てくださいと言われているので、早速行って来ようと思います。

 

ちなみにセルフカウンセリングはそことの相談で今後続けるか決める予定なのです。

 

一人暮らしを開始する

ここ重要です。

現在はまだ友人の家に住んでいる状況なのです。

なにせ逃亡したのが年末だったもので、どこにも行けなかった。私も情緒不安定だし、八方塞がりでした。

だから、とりあえずは自分の住処が欲しい。

友人は心が落ち着くまでいていいと言ってくれるのですが、私が気を遣いすぎてとてもじゃないけど落ち着けないので。

週末には内覧の予定が入っているので、友人と一緒に行ってきます。

何から何まで友人に頼りっぱなしで情けないのですが…。

 

図書館に通う

これは出来たら、ですが。

実家にいる事は外出なんて滅多に許されませんでしたし、山奥にあったので本が読みたくても図書館に行こうと思ったら小1時間かかるのです。

実家でも読書を習慣にしたかったのですが、通販で本を買うしか本を読む方法がないのに家に本が届いたのが父にバレたら怒られるし、そもそもそんなお金もない。

しかも家の中は父が酔っ払って次の瞬間何をするか分からず、気が散って頭に入ってこない状況が続く。

だから読書どころではなかったのです。

でも今は実家にはいないし、図書館だって小1時間もあれば徒歩圏内です♪

図書館に行けば、読みたい本をじっくり選んで好きなだけ読める!なんて素敵な事でしょう。

まぁこれは趣味なので、出来るだけ無理をしないで空いた時間に出来るようにと考えています。

 

100%は目指さない

以上、今年の目標です。

ここで重要なのが見出し通り、完璧を目指さないという事。

年末足止め食らっていたというのもあり、今の私は目に見えて焦りまくっています。

「何も進んでない、どうしよう!」と。

本当は焦ったら遠回りになるということ、分かっているのです。

来年の今頃には解毒してすっかり元気に過ごしている事が望ましいですが、きっと焦ってしまいます。

なので焦った時は「完璧に出来なくていい」と言い聞かせて頑張っていきたいと思います。

 

今年は今までになく踏ん張らないといけいない年です。

前向きに進んでいけるよう、祈ります。

あけましておめでとうございます2023

2023年になりました。早いですね。

今年もよろしくお願いします。

 

昨年は終盤から急に怒涛の展開となり、未だに頭がついていっていない。

11月中旬に何でもない事で父が大暴れして母の首を締め、私が警察を呼んだ。警察を呼ぶのはこの10年で2回目の事だ。

父は泥酔していた為後日事情聴取をされたのだが、母の首に痕が残っており写真もあるのにした事を認めなかった。

同時にアルコール中毒に関する指導をされたはずだが、帰りにすぐ酒を買い込んで今まで通り浴びるように飲んだ。少しも控えなかったし、病院にも行こうとはしなかった。

それから約一ヶ月は静かだったのだが、父は急に私に暴言を吐きながらモラハラを再開した。身と心の危険を感じた私は家を飛び出した。

だが、そこまではいつもの展開と一緒だ。家に居たら危ないから、一晩か二晩外で過ごして戻る。どこかに行く意識もなければ気力もお金もないのが現実だったからだ。一人で行ったところで、少ししたら実家に戻らなければならないと焦り始め戻ってしまうというのもある。

 

そのはずが、私は高校の頃から続く唯一の友人に連絡を取っていた。

年に1度メールをするだけの間柄になっていたその人は、少し前に連絡が来ていたにも関わらず家がゴタゴタして返信出来ていなかった。

そのまま何でもないふりをして落ち着いた頃に改めて連絡をしても良かった。

けれど、私はその時に連絡をしてしまったのだ。

別に「追い出されたから泊めてほしい」と言ったわけじゃない。少しは期待していたのかもしれないが。

彼女は私の異変に気付いて迎えに来てくれた。

そして私が実家から出ていけるように協力してくれる事にもなった。

迎え入れられた当初、私の挙動はとんでもなくおかしかったらしい。明らかにおどおどしていたと。そんなつもりはなかったので驚いた。

 

そうして年末を迎え、色々なところに連れて行ってもらい、色々な人に会った。

市役所など私には思い付けなかった場所に行って相談もさせてくれたし、遊びに行ったり私が諦めていた事をまた経験させてくれた。

正直しんどいと感じる事もあるレベルだが、もしかしたら良い方向に行ってくれるのではないかと期待している。

 

そして今年、2023年。私はこの一年で親の奴隷であった毒まみれの心をきれいにしたいと思っている。

何が良くて何がおかしいのか未だによく分かっていないし、心もまだ実家が気になって落ち着かない。目の前にいない父の機嫌が気になるし、母や愛犬はどうしているかとても気になって連絡を取ろうとする事もあるくらいだ。

だが、それを乗り越えて自立し、自由に生きていけるようになりたい。

友人は私が現状一人暮らしが出来る精神状態ではないと判断しており、心が落ち着くまで居ていいと言ってくれているのだが、果たして私にはどうしたら良いのか判断が難しい。

ツイッターなどで見る他の毒親モラハラ夫から脱出した人はとても逞しくて眩しいくらいなのに、私だけなんでこんな何だろうと思ってしまう。

でも、たしかに、一人で生活するのは怖い。過去2回、そうしたにも関わらず呪縛に逆らえず実家に戻ってしまっているからだ。

 

なんて情けない…と泣けてくる。

1年後、友人の家を出て自活し実家を気にしないでいられる自分になっているかどうか。

新年早々後ろ向きで申し訳ないが、今は祈るしかない。

セルフカウセリング12日目

少し前からツイッターを始めてみています。

このブログにも貼り付けていますのでよろしければ見てみてください。

他の方から毒親について学ばせていただいたり、自分でも気付いたことを呟いています。

 

 

最近はふとした瞬間に「父にこんな事されたな」と思い出す事が多くなってきた。

今まではちゃんと時間を作ってノートを開き「なにかあったかな?」とうんうん唸っていたのだけど、街を歩いている時など何かをしている時に思い出す事のほうが多いみたいだ。

父からの毒は日常に潜んでいるという事なんだろう。当たり前になってしまっていた事だから当然なんだろうけど。

 

今日は友人に連れられて買い物に行ってきたのだが、お店を見たり何かを買ったりする時、食事の時などにいくつか思い出した。

ノートを持ってなかったし突然出して書き始めるのもおかしな話だからしなかったけど、代わりに友人に話してしまった。なんだか申し訳ない。

ちゃんと聞いてくれて共感してくれた友人には本当に感謝。

 

実家ではたまに父が「服を買ってこい」「外食をしてこい」と母にお金を持たせてお出かけさせる事がある。

父は買い物をしてストレスを発散する事があるから、その延長先だ。

私と母は突然決められた予算の中から父のお眼鏡に叶うものを父の思っている数を想定して買いに行かなければならなかった。いつも当日になってから言い渡されるため、猶予はない。そこで行かないとか少し待ってという選択肢を取るのはNGだ。もれなく父が「せっかく俺が許してやったのに!二度と買い物には行かせない!」と大暴れし始める。

買い物の時間も父の気分で決まっていて、それをオーバーするとやっぱり後で大惨事になる。

父は基本的に買い物にはついて来ないからいつも出かける前の父の機嫌を見て予測し、急いで済ませていた。大体車で往復1時間と少しかかるから、買い物する時間は1時間ほどが望ましい。

外食だってして来いと言われて送り出されても本当にやっていたら時間をオーバーするから、いつもコンビニなどテイクアウト出来るものを買って車の中で食べていた。

当時の私からしたら買い物が出来るチャンスの日でもあるから、それなりに楽しんでいたつもりだった。

だが、今から考えるとそうして買ったものはほとんど不要なもので使えた試しがないし、食事だってあまり味を思い出せるものがない。(ちなみにこれは最近友人宅で何度か食事をした後に私の食の好みを友人から指摘されて気がついた。

自分の好みだったのに、私は何も知らなかったのだ。友人から言われて驚いて「そうかも。好きかも。意識したことなかった」と返したくらいだ。)

 

それが今日は友人とのんびりショッピングをし外食をする時間が取れた。4時間。2時間が限度だった以前からは考えられない事だ。

ちゃんと気に入ったものが買えたし、食べたドーナツもとても美味しかった。

時間がかかるとだんだん申し訳なくなってくる私に、友人は「このくらい全然平気」だとなんでもない顔をしたのが驚きだった。以前なら母と二人で焦って「もうこれで良いか!」と帰ってしまうところだったから。

だから思い出した。というか、思いついた。普通ならあの時間は苦しい時間になるのかもしれないと。

本当に楽しかった。(本当に疲れもした。体力なさすぎて笑えてくるが、友人にはこれからだと言われて救われた。友人には感謝してもしきれない)

 

年が明けたら持ち運びやすいサイズのノートを持って街を歩いてみようかなと思う。外でぐちゃぐちゃにならなければいいのだけど。

 

セルフカウセリング11日目

毒親は子を責めて罪悪感を与える」というけれど、本当だと思う。

 

実家に母と愛犬を残してきているのがずっと引っかかっている。

母はもう共依存が行き過ぎていて実家を出る気はないだろう。愛犬も父が買ってきた犬だ。

それでも、私一人が二人を捨てて出来てしまったように感じて苦しい。

 

というのも、子供の頃から父にそう言われ脅される事が多かったからだ。

父に大切なものを人質に取られ「見捨てて逃げろ。さもないと〜」と言われ、力で敵わない私は泣きながら背を向けてきた。辛かった。

私は未だに力でも経済力でも父には敵わない。だからせめて経済力で独立出来るまでは実家で耐えようと思っていたのだ。(実際には思っていただけだったのだが)

結果的に私は二人を置いて出てきてしまった。もうあんな事はしたくなかったはずなのに、やってしまったのだ。

手を貸してくれる友人はそんな事はないと言ってくれるし、むしろこのチャンスに経済力をつけて二人を迎えに行ったら良いと言ってくれる。

今は少しずつ、あのまま家にいて一緒に耐える生活を送る方が間違っていたと思えるようになってきたし、友人の言う通り自由になったのだからきちんと経済力でをつけて迎えに行けばいいと思い始めている。

 

引っ掛かりが取れない理由はおそらくまだ私に自信がないからだ。

経済力をつけると言っても、私にそんな事が出来るのだろうか?出来ても自分一人をなんとかするのに精一杯になるのではないか?

私には未だに父の「実家に軟禁されているのが最善」の呪いがかかっていると思う。

友人の家に避難している今でも実家の空気を想ってそわそわしてしまうし、一人暮らしを始めて働き始めるという新しい環境に変わったらどうなってしまうのだろうか?

今まではうつになって動けなくなり「実家に帰らなきゃ、帰りたい」という漠然とした焦りの意識のもと実家に帰ってしまっていた。

dokmotik357.hatenablog.com

 

果たして今回は大丈夫だと本当にいえるのだろうか?

 

このあたり、どうやって枷を外したら良いか分からない。とても不安だ。

何が刷り込みか

友人と暮らすようになって実家がいかに閉鎖された環境だったか思い知るようになってきた。

彼女がそういう性格なのもあるかもしれない。

けれど、ここで暮らしていると実家が本当に独房のように感じる。

私の実家は山の上の奥の方にあって、車ですら出てくるのが難しいような場所にある。

小さい頃なんかは外に出されると本当に行き場所はなかった。

近所に何軒が家はあるが、助けを求める事も出来るわけがないし、友達の家はとても遠い。まぁ近くにあったところで恥ずかしくて行けるわけがないのだが。

コンビニだって遠いし、それ以外に夜中開いてる施設は当然ないから玄関前で身を縮めながら朝を待つしかなかった。

 

そういうところでそういう感じの家だから、洗脳完了してしまうともう閉じこもるしか選択肢がない。

学生の頃はそれでも学校に行かなければならなかったから出るところはあったが、社会人になって何度も心をおられる内に少しの与えられた仕事時間以外は部屋にいた。

それ以外は大体の時間を父に管理され、少しでも遅くなると爆発するイベントが待っている状態だったからそうならないように必死にこもっていた。

 

だからそれ以外の世界を知らない。もう34歳にもなって。

一応何度か実家から離れて暮らしていた事はあるが、それでも父のしつけ通りの生活を送っていたから外界の価値と触れたことがない。

この世界が優しいと知った事は以前の記事であげた通りだが、それにしたって違いすぎる。

 

そこでふと思ってしまったのだ。

「どれが正解なんだろう?」

おかしいと思っていたがそれこそ私が間違いで、父の刷り込みだと私が思っている事が普通のことなのかな?と頭がこんがらがってきている。

がんばっているつもりが甘えだった、みたいな。

そう思ってしまうことこそが刷り込みなのか?よく分からない。

 

価値観は人それぞれだし、友人の価値観が一般的というわけじゃないのも分かっているつもりだ。

結局は今の私の父が作った価値観で落ち着くのかもしれないし、「おかしいな、普通こうだろう」と思っていた価値観に落ち着くのかもしれない。

親の足かせを外していったその先にまた新しい価値観になるのだろうか?

 

価値観が定まらないから自信が持てない。

常にこれでいいのかなと思いながら足踏みしたり、進んでも常に怖いままだから病んでしまって立ち止まる。

34にもなって情けないと思ってしまい、全てはこれからだと思いながら余計に病む。

 

これからカウセリングを続けていく内に解消されたらいいなと思うが、果たしてどうなるだろうか?

セルフカウセリング10日目

今日はひとりでのんびり過ごしました。

友人に今のうちに休んで、好きな事したら良いと言ってもらったのをそのまま実行。

いいのかな、という思いはあったけど休める時に休んでおかないと駄目だなと思って甘えました。ありがとう。

 

セルフカウセリングの効果って、どういう状態なら成功してるといえるのだろうか?

精神的に落ち着いてくること?フラッシュバック的なものがなくなる事?

色々あったから今の私は情緒不安定だし不安感が消えないのだけど、これで大丈夫なのだろうか?

 

それでも書いていくうちに見えてきたのは、私の毒は大まかに3つだという事。

  1. 父が私を抑圧し罪悪感や奴隷心を植え付けた事
  2. 父の母に対する精神的・身体的暴力
  3. 父のせいで起こった身内の不和

細かいエピソードは色々あるが、整理してみると大体はこのどれかに分けられる。

父絡みなのは当然として。多いのは私が直接受けたものではないな、と思った。

だから私は母を捨てられないし、なんとかしてやりたいと強く思うのだろうな。

今でも解毒して自立したら次は母を、という思いを捨てきれない。

本当はどうするのが正解なんだろうな。母だって毒じゃない事もないのだけど。

それでも父が母に対してしてきた事は思い出すだけで怒りがこみ上げるし、痛い目見ればいいのにと本気で思う。

 

それから、何が正しいのかが分からなくなっている。

一般的な常識に囚われる事もないのだけど、私の今の考え方はただの甘えなのだろうか?おかしいのだろうか?と。

おかしいのは確か。家を出て友人と過ごす間に実家での生活がいかにきつい縛りプレイだったのかが分かった。苦しいけど、おかしいけど、こんなもんだと思っていた事は全てその通りおかしかったし、なんなら思っていた以上に楽な生活を送れている。

でも、私が「おかしい、普通はこうなんじゃないの?」と思っていた事もおかしいのかな?と思い始めた。

人それぞれの範囲だってある事は分かっているけど、その範囲の話でいいのかな?と。

 

全ては自信のなさのせいで、そうさせたのは父だ。

父はよく「俺がいなくなったらお前は野垂れ死ぬしかない」と言っていた。

そんな馬鹿なと思っていたし、お前がいなくなったらみんな自由で楽になれるとも思っていた。父がそれしか存在価値がないから必死になっているだけだと。

でも、ずっと拳を振りかざし脅し侮辱しながらされてきた事だから、すっかり洗脳されてしまっているんだ。

これが癒やされれば少しは自信を持って考えられるようになるのだろうか?

そう信じたい。

 

(今回はブログの口調を変えてみました。どうでしょう?しっくりこなかったらすぐ戻します)

セルフカウンセリング9日目

昨日言っていた出かける話はなんだかんだなしになりました。

ぶっちゃけホッとしています…いいのかこんなんでとも思いますが。

 

 

セルフカウンセリングは9日目!

実家を飛び出す前からやっているのですが、まだ9日しか経ってないのか…この一週間で色々ありすぎて長く感じてるな。

まだまだこれから色々あるんですけどね。来週にまた役所に行くし。怒涛の展開にまだ混乱しているところがあり、友人に支えてもらっています。まだ信じられない。

 

私はどうやら自分が押さえつけられていた事と同じくらい、幼い頃から目撃してきた父の母への暴力がトラウマになっているようです。

母がされた事、そのせいで母が遭った通常では考えられない辛い事がまるで自分の事のように辛い。

昨日のセルフカウンセリングで母が私を置いて実家に帰った話を書きましたが、母が帰った事実より父がそんな母の悪口を私に言っていた事の方が辛いのかも。

だから母が帰っていた事は記憶になく、父の言葉だけがはっきり記憶に残っているのかもしれないと思いました。

父の暴力は母へは凄まじかったと思います。

他者から見えるような暴力は振るわない代わりに骨にヒビが入れられたり、身内や旧姓に関する侮辱をされたり。

そういう時の父の暴言は、普段思いつかないような汚い言葉の羅列なんですね。どんなと聞かれても私もすぐには出てこないし、出てきても口に出したくないような、本当にひどい言葉。

すべては父の機嫌次第で行われており、母はただのサンドバッグでしかないとしか言いようがありません。

 

それがずっと家の中で繰り広げられているのだから、耳を塞いでも聞こえる父の声量、母の声、…怖くて当然かもしれません。

ちなみに母はもう麻痺してしまっています。それでも出ていく事、離婚する事を渋っていますし。一応数年前から証拠は取っているのですが、その先の行動を起こす事を考えると頭がぐちゃぐちゃになるようです。

昔はその後外に出てひとりになり絶叫したりしていたのですが、今はもうそれもなくなっているようで…。

そういう時は父の声で私も情緒不安定になってしまうものだから、母にあたってしまったりして。

後で我に返って、そんな風にしている自分が信じられなくなって。

だって、お母さんなのに。

 

…文章がぐちゃぐちゃになってきましたね。根強い証拠だと思います。

 

セルフカウンセリングで共感の段階に入っても、母を救い出せない事を思い出してストップしてしまいました。

気持ちをどう持っていったら良いか分からないです。

 

 

ただ、年明けに診療内科に行くときに先生に話す事は絞れてきたと思います。

話したい事がぐちゃぐちゃのまま行ってもだめかもしれないし…大きなところ、自分ではどうしようもないところが分かってきて良かったと思います。

自分で癒せるのかもしれないけど、それは今後の課題ですね。とにかく続けてみよう!