毒親解毒日記

毒親の呪いが解けない餅Kが解毒を目指す過程を赤裸々に綴ります。

毒親環境の「音読」という宿題

小学校3年生の頃の事です。

 

当時、国語の教科書を家族の前で音読しサインを貰ってくるという宿題がよくありました。

私の家は当然、そんな宿題があるのだと家族に話しかけるところからものすごいハードルが高かったのです。

だってずっと酔っ払った状態でほとんど常に機嫌が悪いし、たまにある良いときも話しかけた瞬間ブチギレ!なんてこともよくあることですから。

でも宿題だしやらなきゃいけない。勇気を出して話しかけて、運良く音読させてもらえても、少しでも間違えようものなら罵倒と嘲笑の嵐が普通でした。

 

その中でも記憶に残っているのが、「決して」の読み方。

読み方は「けっして」です。

はじめて音読した当時の私は緊張のあまりそれを「けして」と読んでしまったのです。

自分でも気づかなかったくらいの小さな間違いでした。

けれど、父が見逃すはずもなく。

大声で「バカ」だの「バカはしね」だのと罵られ、何度も読み返しさせられては「そんな漢字も読めないのか」「生きる価値もない女だな」と笑われるのエンドレスループ

 

音読の宿題はそんな事の繰り返しで、はっきり言って、とんでもなく辛かったです。

いつしか私は音読の宿題だけを忘れて学校に行くようになり、けれどそれでは先生に怒られるから、やった事にして自分でサインを書いて提出するようになりました。

 

とはいえ、10歳以下の子供のする事です。先生にはすぐにバレてしまいます。

帰りの会の時にみんなの前に立たされ、宿題をやりたくなくてズルをした卑怯な人間だと散々言われました。

なぜこんな事をしたのかと聞かれても、「親が怖くて」なんてどう説明したら良いのかわからず黙るしかありません。

ただただ「忘れただけです」と言うしか出来ませんでした。

そんな私に先生は「忘れたなんて嘘でしょう。やりたくなかったからズルをしたんだと認めなさい。そしてズルをした事をみんなに謝りなさい」と言いました。

違う!そう思ったけど、しんと静まり返った教室で、一人前に立たされて先生にそんな風に凄まれたら、認めるしかありません。

なによりすでに小一時間そんな時間が続いていました。

もう放課後だし、みんなだって帰りたいに違いない。

 

本当はやりたくないなんて事はありませんでした。

音読の宿題が出始めた最初の頃は、私も意気揚々と家族に聞かせようと思っていましたよ。

寝る前机の下に隠れてこっそり自分でサインをする事にだって、罪悪感しかなかったんですよ。

でも、自分を守るためにそうするしかないと思ってやっていたんです。

それが本音であり、当時の私の事実でした。

 

先生に凄まれてよくわからないままクラスメイト達に謝って。

とても惨めでした。

だってそれなのに家庭環境は変わらないから、それからも同じズルをする事しか出来ない。

けれど先生が親になにか言おうものなら、その日からしばらくは家の中が地獄と化す事もなんとなく想像できるので言えない。

それにそんなぶっとんだ内容の言い訳なんて誰が信じるでしょう。認めてくれるでしょう。それなら仕方ないと言ってくれるでしょう。

当時の私も幼いながらに分かっていたのかもしれません。

その後すぐに学年が上がって担任が変わったので、そういった悲劇は繰り返されなくなって済みました。

 

でもはっきり言って、私悪くないと思うんです。

漢字の読み間違いなんて大人だってするじゃないですか。

会社でも「この漢字なんて読むんだっけ?」と笑いながら話す事もあるくらいですから。

それなのにあんな目くじら立てて晒し上げるような真似をするなんておかしくないですか。

当時私は9歳ですよ。父はアラフォーだったはずですよ。余計におかしいと思います。

母だって、目の前にいたのに空気でしたから。後からフォローを入れることも出来たはずでしょう。

 

学校の先生だってそうです。宿題なんだし、私がズルをしたのは事実だけど。

でも、事実でないことをむりやり認めさせて晒し上げるなんてしなくても良くないですか。

 

これを言うとSOSを出さなかった私が悪いというように言う人もいるでしょう。

なぜなら私自身、無関係な他人ならそう思うはずですから。

でも、子供だった当時のわたしはもう八方塞がり状態で味方もおらず、孤独な戦いをしていた事になるんです。

だって、子供ですよ?家と学校が世界の全てである年齢です。

ネットもない時代の田舎で、知る術すらない時代ですし。

今は子供にも大人目線で厳しい意見が出る事が多いですし、私もそんな意見を持ったりもします。

でもよく考えたら、子供にそんな事は難しいんじゃないかなと思うんです。

そして子供時代にそんな経験をしていたら、誰の事も信じられず頼る事が出来ない大人になって苦しい思いをしてしまうのではないかと思います。

現に私だって、今でも周りを頼る事をためらったり、本音を話すことが怖くて出来ない大人になっていますから。

そんな性質、社会人になると生きづらく困るものだと理解できるんですが、どうしても怖くて出来ずに後で後悔する事が多いです。

 

現代は「音読」なんて宿題あるのかな?

今は当時より色々な家庭がある事が普通になっているから、なくなってると良いのですが。